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興味は色々。数学とか神学とか。日記からはじめました。

お腹を空かせて

日曜日に夜更かししたら、月曜日が寝不足で、お腹を壊した。寝不足の時は大体何食べてもだめだ。胃が休まっていないのだろうか。意識的に胃腸を休めるのは難しい。取り出して陰干しにでもできたらいいのに。今日はいくらかマシだったが、昼はサンドイッチをひとパックだけコンビニで買った。流石に足りないかとも思ったが、一口一口ねじ込むようだった。昼の休憩時間を目一杯使って食べた。食べた直後の眠気がなくて快適だったが、終業の頃には少し眠くなった。エネルギーが切れたのだろうか。

西尾維新忘却探偵シリーズを通勤中に読んでいる。異様に自意識の低い語り部である隠舘は、阿良々木を思い起こさせる。飛び切り運のいいことわるいことが応酬する世界で、彼らは自分の価値を低く見積もることによって何とか安定を保っている。肥大した自意識と自己批判を満足させるだけの展開を西尾維新は描ききる。それは自分の生活に何の期待もしたくない一方で、このつまらない世の中をただ過ごすには達観しえない読者にとって心地よい。私もその一人なのだと思う。しかしそう思ってみると、今まで楽しく読み親しんできた西尾維新をどう評価しようか迷い始める。手放しに賞賛できるものでもないのかもしれない。

GUIアプリを作るのは初めてで、何をどうやったらいいのか分からずに始めて、行き当たりばったりでコードを書いている。ネットで拾った雛形に、実装を積み重ねていくと、関数やクラスの構造が無秩序に膨れ上がる。そもそもどうなっていたら美しいのかよく分からない。何でもかんでもクラスにして関数にしたらいいのだろうか。そんなことはないだろうと思うが。自分しかコードを書かないから、コメントも疎らだ。コメントを書くくらいならクラスにしたらいいのではないか。Pythonには定数は存在しないらしい。でもattributeにしても仕方ない。混乱が混乱を呼んでいる。上司に指導を求める必要がありそうだ。

旅行中に会いたい人に予定を訊いている。数週間先のことを予定するのは苦手だ。せいぜい考えられるのは今日と明日くらいなのに。そもそも、来週会いたい人というのはいない。今会いたいのである。今から会いたいのである。それがいつもできることじゃないと、ちょっとずつ自分に納得をつけさせないといけない。こんなことだから、夜更かししてしまうのだろう。まだまだ自分は子どもだと思う。この点に関しては、大人になった方が良いかもしれない。いや、こんなのただの性格かもしれないけど。

大変な仕事の山は越えた。あとは積み上げるだけ。たぶん時間をかければ出来上がる。帰ったら少しだけお酒を飲みたいところだけど、まだ私の胃は弱っていて、労ってやる必要があるだろう。こんなこといって、帰ったら自制できないかもしれないが。